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昔のことせ! ~村上むかし語り~ 昔のことせ! ~村上むかし語り~

村上の昔のことを、あれこれと語ります。

 

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2018/08/01

115 武藤【本庄】千勝丸の上洛(2) 

上杉景勝が本庄繁長に命じたことは、繁長自身は領内の治安安定のために残り、千勝丸を急ぎ上洛させよ、といったものである。それを受けた千勝丸は、翌年5月2日に上洛の途につく。従者は白川対馬守(つしまのかみ)・平賀彦五郎・門田修理亮(しゅりのすけ)・鵜渡路因獄介(うのとろしゅうごくのすけ)・長清右衛門・北五助・小田大蔵少輔(おおくらしょうゆう)らである。彼らは千勝丸の側近であろうが、元は武藤家の旧臣であったかもしれない。この供人らに警衛の侍や輸卒足軽らが従う。

 

上洛の途次、春日山の府内に立ち寄る。上杉景勝への戦勝報告や在京中の対策、政権内への便宜、関係公卿との連絡、道中通過地の大名(加賀前田家)などとの宿次ぎや食糧補給や軍団の通過に要する諸事負担への礼品の携帯などの仕度である。

 

このとき千勝丸が景勝へ贈った物は太刀一腰、馬一頭、金子一枚であった。また、直江兼続には太刀一腰、馬一頭、金子一枚で、これは豊臣政権の中枢たる石田三成や増田(ました)長盛らとの直接交渉にあたった謝礼である。また大石芳綱(よしつな)には米百俵と馬一頭を贈っている。京の案内と便宜からである。舟岡次郎右衛門には米百俵の贈与である。舟岡の京屋敷が千勝丸の従者の宿泊所にあてられたため、迷惑料の意味である。

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入京は6月28日、梅雨も明けたか、道中の天候に関する記述はない。八坂祇園の神霊の渡御も済み、京の大路には戯れる小雀のさえずりが空に漂っている。千勝丸一行には武藤家再興の願望が目前に来たった喜びで不安はない。

 

関白秀吉の謁見は7月4日と決まった。千勝丸の献上物は銀三百枚と太刀と馬である。上杉側の奏者(取次)は直江兼続で、秀吉側の奏者は石田三成と増田長盛である。場所の明記はないが聚楽第(じゅらくだい)であろう。

 

千勝丸へは秀吉から在京の扶持分として米百石と脇差が贈られ、石田三成からは太刀と脇差、増田長盛からは猩々緋の陣羽織であった。そこで参内を許されると、官途(かんと)・名乗りの綸旨(りんじ)を賜る。官途は従五位下(じゅうごいげ)、左京太夫(さきょうだゆう)、受領名(じゅりょうめい)は出羽守、名乗りは武藤義勝である。ここに武藤家の再興が名実ともに成就したのである。上首尾で秀吉との謁見や朝廷参内を済ませて京を後にして、春日山府内に戻ったのが8月初旬である。

 

これでめでたしめでたしで済んだ、と思いきや、さにあらず。何とも胸の内が収まらないのが最上義光である。それはそうだろう。本庄にべた負けをして、喉から手が出る庄内三郡をまるまる手離さざるを得なくなったのである。はらわたの煮えくり返る思いで、本庄の法令違反を徳川家康に訴えた。家康は豊臣政権の五大老の筆頭で私戦禁止令の下達者であった。

 

 

大場喜代司
『村上商工会議所ニュース』(2017年8月号掲載)村上市史異聞 より

 

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