脇川の北には、勝木(がつぎ)の沿岸近くに鉾立岩が屹立(きつりつ)し、そのすぐ北には八幡岩の巨巖(きょがん)が脚下を波涛に洗われてそびえ立ち、天然記念物のヤブツバキの樹林に覆われている。絶頂には、九州の筥崎(はこざき)から勧請させられたと伝えられる八幡神が祭られていて、眺望はことのほか優れている。
筥堅八幡宮社叢
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八幡岩の北の至近には碁石(ごいし)の蒲原神社が。岩船郡内では最古とされる延喜式内の八社のうちの一社にされているが、それらの神社はこの絵図の作者の眼には止まらなかったか描かれていない。
碁石から北へ向かうと、越後国と出羽国の境になる原見(はらみ)というところである。絵図に描かれた中濱(なかはま)は、原見の南で、蒲萄(ぶどう)山塊から解放された沿海村である。絵図では、山塊を人家のすぐ側に屹立しているかのように描いているが、実際には山と中濱の間は、それほど近くではない。
左側の絵図に「ねぢみいわ」と注記される巨大な岩塊は、正しくは鼠喰岩(ねずみかじりいわ)のことで、現在国道7号がその脚下を北上する。「ねぢみ」は村上弁。その右に「たいほば」とあるのは、戊辰戦争のとき、官軍を迎撃した村上藩と鶴岡藩兵の陣場の跡である。戊辰戦争の話は次回に譲る。
大場喜代司
『むらかみ商工会議所ニュース』
(2022年10月号掲載)村上市史異聞 より