※場所はおおよその位置で正確なものではありません
堀片通りの東外れ近くに鉄塔の立っている空き地がある。その鉄塔近くには教員住宅があり、堀片通りから入るには南に向かう小径がある。青木門はその空き地に立っていた。門内には天満宮の小祠(しょうし)が鎮座していたが、明治の初めころ解体されたという。
その天満宮は、もともと城山の東北の一段低い小平な場所に、鬼門鎮めに祀られていた。市内門の上部で天神台と称する台地である。天守台から方位を測ると表鬼門にあたる場所であった。
青木門のところはその延長線になり、さらにその線を延長すると御持稲荷(おもちいなり)の場所になる。陰陽道では東北隅(すみ)を表鬼門、南西隅を裏鬼門といい、悪鬼が依(よ)る場所として鬼門封じの神を祀る。
門の規模は、2間半に4間であるから堀片門・耕林寺門・市内門と同じである。同一規模にすることは、工期の短縮と工費の軽減でもあったし、城の搦手(からめて)は防衛的に二次的に扱われていたからである。
今回をもって13回続いた村上城 城門シリーズは終わる。閲読多謝。
大場喜代司
『むらかみ商工会議所ニュース』
(2021年8月号掲載)村上市史異聞 より