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昔のことせ! ~村上むかし語り~ 昔のことせ! ~村上むかし語り~

当コンテンツは村上商工会議所が毎月発行する
「むらかみ商工会議所ニュース」で連載中の
『村上市史異聞』を転載したものです。

 

 

著者である大場喜代司さんが
村上の昔のことを、あれやこれやと語ります。

 
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著者の郷土史研究家・大場喜代司さんが
2024年3月27日にご逝去されました。
村上市の郷土史研究に多大な功績を残された
大場先生のご冥福をお祈り申し上げます。
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2008~2015年に書かれたものはこちら。

2022/07/01

162 村上城 青木門

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※場所はおおよその位置で正確なものではありません

 

堀片通りの東外れ近くに鉄塔の立っている空き地がある。その鉄塔近くには教員住宅があり、堀片通りから入るには南に向かう小径がある。青木門はその空き地に立っていた。門内には天満宮の小祠(しょうし)が鎮座していたが、明治の初めころ解体されたという。

 

その天満宮は、もともと城山の東北の一段低い小平な場所に、鬼門鎮めに祀られていた。市内門の上部で天神台と称する台地である。天守台から方位を測ると表鬼門にあたる場所であった。

 

青木門のところはその延長線になり、さらにその線を延長すると御持稲荷(おもちいなり)の場所になる。陰陽道では東北隅(すみ)を表鬼門、南西隅を裏鬼門といい、悪鬼が依(よ)る場所として鬼門封じの神を祀る。

 

門の規模は、2間半に4間であるから堀片門耕林寺門・市内門と同じである。同一規模にすることは、工期の短縮と工費の軽減でもあったし、城の搦手(からめて)は防衛的に二次的に扱われていたからである。

 

今回をもって13回続いた村上城 城門シリーズは終わる。閲読多謝。

 

 

大場喜代司
『むらかみ商工会議所ニュース』
(2021
年8月号掲載)村上市史異聞 より

 

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