飯野門を突破して、羽黒口を経て城山麓の居館(きょかん)へ侵攻しようとする敵兵と、牛沢口から侵攻する敵兵を阻止するために設けた城門である。規模は3間に8間で、窓6カ所とあるから前回の飯野門より若干大きい。
門のすぐ脇の南と東北方には堀と土塁が連なり、防御網の堅固さを物語っている。また、周辺の侍屋敷は重臣級が占める。15万石の榊原城主時代は千石から350石級の屋敷であった。
門をくぐって直進すると、瑞峯寺(のちの光徳寺)という城主の菩提寺である。
絵図に描かれる門の姿は、松平直矩(なおのり)の城主時代に建て替えたものと思われる。入り口の柵戸(きど)は木製のように見えるが、門やそれを取り巻く多門櫓の屋根材は判然としない。
石垣の高さは1丈1尺(約3メートル)であった。
石積みの形式は、おそらく「打込接(うちこみはぎ)」とも呼ばれる布積みであろう。絵の積み方は亀甲積みであるが、この積み方は最も精巧な技術を必要とするもので、おそらく描写のデフォルメであろう。
大場喜代司
『むらかみ商工会議所ニュース』
(2020年9月号掲載)村上市史異聞 より