醫師・鈴木正司君
瀬波温泉の写真はネタ版が尽きた。この後は岩船町(いわふねまち)に移る。
赤松の根を白砂が洗う社叢(しゃそう)の対岸に街路が続き、橋でつなぐ。明神橋は、村上市内では最も古くに架けられた橋である。
文禄3(1594)年といえば、豊臣政権の末期である。その記録に「橋役」として、人と馬に銭5文を掛けていた。橋役とは、橋の渡り賃である。それだけ交通の往来があったということだ。もっとも、岩船は「岩船宿」ともいい、宿場でもあったから往来の繁多は当然といえば当然だ。
写真の医家(鈴木家)は、医師の家というより既載の淺野館の佇まいに似ている。ただ、玄関の屋根が浅野館は入母屋であるが、鈴木家は切妻であって、武家屋敷公園の藤井邸*に極めて似た形式である。藤井邸も元医院で岩船の人だった。
*編注 まいづる公園の旧藤井家住宅のこと
開け放された2階の障子戸から察するに、2階はいくつかの部屋に分かれた病室になっていたものか。やや写真が不鮮明ゆえ、容姿が判然としないが、中央の椅子に腰掛けた背広姿の人物が鈴木医師であろうか。
大場喜代司
『むらかみ商工会議所ニュース』(2019年5月号掲載)村上市史異聞 より