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昔のことせ! ~村上むかし語り~ 昔のことせ! ~村上むかし語り~

当コンテンツは村上商工会議所が毎月発行している
むらかみ商工会議所ニュースで連載していた
『村上市史異聞』を転載したものです。
※2024年5月号で連載は終了しました

 

 

著者である大場喜代司さん(故人)
村上の昔のことを、あれやこれやと語ります。

 

 

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2008~2015年に書かれたものはこちら

2020/05/01

136 古写真に見る大正時代の岩船町(1)

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醫師・鈴木正司君

 

瀬波温泉の写真はネタ版が尽きた。この後は岩船町(いわふねまち)に移る。

 

赤松の根を白砂が洗う社叢(しゃそう)の対岸に街路が続き、橋でつなぐ。明神橋は、村上市内では最も古くに架けられた橋である。

 

文禄3(1594)年といえば、豊臣政権の末期である。その記録に「橋役」として、人と馬に銭5文を掛けていた。橋役とは、橋の渡り賃である。それだけ交通の往来があったということだ。もっとも、岩船は「岩船宿」ともいい、宿場でもあったから往来の繁多は当然といえば当然だ。

 

写真の医家(鈴木家)は、医師の家というより既載の淺野館の佇まいに似ている。ただ、玄関の屋根が浅野館は入母屋であるが、鈴木家は切妻であって、武家屋敷公園の藤井邸*に極めて似た形式である。藤井邸も元医院で岩船の人だった。
*編注 まいづる公園旧藤井家住宅のこと

 

開け放された2階の障子戸から察するに、2階はいくつかの部屋に分かれた病室になっていたものか。やや写真が不鮮明ゆえ、容姿が判然としないが、中央の椅子に腰掛けた背広姿の人物が鈴木医師であろうか。

 

 

 

大場喜代司
『むらかみ商工会議所ニュース』(2019年5月号掲載)村上市史異聞 より

 

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