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昔のことせ! ~村上むかし語り~ 昔のことせ! ~村上むかし語り~

当コンテンツは村上商工会議所が毎月発行する
「むらかみ商工会議所ニュース」で連載中の
『村上市史異聞』を転載したものです。

 

 

著者である大場喜代司さんが
村上の昔のことを、あれやこれやと語ります。

 
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著者の郷土史研究家・大場喜代司さんが
2024年3月27日にご逝去されました。
村上市の郷土史研究に多大な功績を残された
大場先生のご冥福をお祈り申し上げます。
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2008~2015年に書かれたものはこちら。

2024/04/01

183 戊辰戦争の道 余話 戦後の村上城下(1)

2024.04.05追記
大場喜代司さんがご逝去されました

本稿(むらかみ商工会議所ニュース「村上市史異聞」の転載)を長年にわたり執筆されていた村上市の郷土史研究家・大場喜代司[きよし]さんが2024年3月27日にご逝去されました。

村上市の郷土史研究に多大な功績を残し、私たちを楽しませてくれた大場先生に深謝し、ご冥福をお祈り申し上げます。

▶今後の記事更新について
「昔のことせ! ~村上むかし語り~」の更新は、次回『184 戊辰戦争の道 余話 戦後の村上城下(2)』(5/1公開予定)が最後になります。

 

以下より本編です。

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鳥居三十郎 墓所(宝光寺)

庄内藩兵と共同で戦っていた村上兵の総指揮者は、青年家老の鳥居三十郎であった。以下は鳥居与一左衛門、水谷孫平治、近藤幸次郎、平井伴右衛門、高橋佐次右衛門ら壮青年の重臣である。

 

羽越[うえつ]方面で戦っていた村上兵の家族らは温海[あつみ]温泉に分宿していた。彼らは、戦争終結の一報に安堵の思いを温泉の湯に浮かべ、帰村の想いを眉に表し、脚を軽くした。

 

旧暦十月半ばはすでに冬である。寒気は肌をつき、氷雨に雪が紛る。彼らは、勝木[がつぎ]から勝木川を遡行、上大蔵を経て板谷沢に着いた。そこで一泊し、翌日は赤谷越えにかかり、一気に大須戸まで至った。現在、赤谷越えの道は廃道になっている。その間、およそ5里余りの道のりであった。翌日は、小川村平右衛門に一泊、村上城下に帰り着き、眉根が緩んだのも一時のこと、賊軍の兵と烙印[らくいん]され、自宅に入ることを許されず、寺で謹慎し罪科を待てと命令された。

 

それでも、その罪科処分も解けて、年内には自宅へ入ることができた。

 

やがて狂乱暴逆の年も暮れ、まだらな雪道に梅の香が漂ってきた2月6日、憂さを晴らしに村上藩士の山脇玄四郎が久保多町の中ほどの仕出し屋・大蔵屋で酒盃を舐めていた。折悪しく、往来を鉄砲を携えた3人の占領軍・金革隊*が通りかかった。何が惨禍を呼んだのか、玄四郎は金革隊の凶刃に襲われた。元より無腰、裏の外堀の際まで逃げたが逃げ切れず、無残、朱の潮の中に倒れた。
*徴募兵士で組織され、中にはあぶれ者もいたという

 

敵は中条あたりにずらかったという。激高した玄四郎の縁者・山脇小市、若林虎男、高橋左次馬らは敵討ちに燃え、中条野中村で追いすがった。凶漢の頬が引きつった。畔水が戦[そよ]ぎ、陽が傾き、山懐の影が濃くなった。追う者と追われる者の激闘だった。雪解に金革隊兵士が転がった。敵を討ったが村上藩士の一人も深手を負い、のち落命した。

 

大場喜代司
『むらかみ商工会議所ニュース』
(2023
年6月号掲載)村上市史異聞 より

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