家並みは小町。大町寄りの東側で、間口が広く、軒下はたたきの土間か。【写真1】大屋根の下に設置された看板には、「渡邊旅館」とある。下の庇(ひさし)の先、間口いっぱいの横長の看板には、「……化学工業用薬品……」とまでは読み取れるが、あとは不明である。【写真2・3】店舗の内部であろう、和服の男性と子ども、商品ケースや背後には数種類の商品が積まれていることと看板の文字を合わせて見ると、薬店であることはまぎれない。
否また階上は旅館としての部屋であろう。薬店兼旅館業であろう。下屋(げや)は瓦葺きで、大屋根は木羽(こば)葺きか。2階は一面障子張りか、小町が旅籠(はたご)屋街として成立したのは江戸時代の中期、貞享の頃(1684~87)で、16~19軒の旅籠屋があった。
当初は、村上15万石の城下にあって、城主・榊原氏の助成による営業で、旅人の増加に伴って次第に発展、商店街としての様相を呈するに至った。この写真の渡邊旅館も、その旅籠屋街の名残りであろう。
大場喜代司
『むらかみ商工会議所ニュース』(2018年8月号掲載)村上市史異聞 より