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昔のことせ! ~村上むかし語り~ 昔のことせ! ~村上むかし語り~

当コンテンツは村上商工会議所が毎月発行している
むらかみ商工会議所ニュースで連載していた
『村上市史異聞』を転載したものです。
※2024年5月号で連載は終了しました

 

 

著者である大場喜代司さん(故人)
村上の昔のことを、あれやこれやと語ります。

 

 

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2008~2015年に書かれたものはこちら

2023/02/01

169 浜通りの出羽道(7)

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※2ページにわたる絵図です

 

砂浜につけられた踏み跡は、波浪によってさらわれて消えるが、岩塊の潮濡れした小径は危ないながらも明瞭に残る。その砂の径から、絶壁の径ともいえぬ径を攀(よ)じり登った旅人は、しばし景勝の美しさに瞳を奪われた。

 

しかし、その絶勝(ぜっしょう)の景は奇絶ともいえようが、冬期間などは人命に危険が迫る。それゆえ隣村との通行も途絶するのだ。その巨大な巌塊(がんかい)をくりぬき、通行の便をはかろうと計画を立てた人物が現れた。早川村早川寺(そうせんじ)の洞水(どうすい)和尚と新保村仏照寺(ぶつしょうじ)の大哲(だいてつ)和尚であった。

 

その計画が実現すると、通行の便はいかばかりか、旅人のみか、隣村との連絡も格段と便利になろう。洞水と大哲の両名は、水原代官所の許可を得ると、郡内から寄付金を募った。

 

工事は嘉永3(1850)年に起こして翌年には完成した。隧道(ずいどう)は、高さ2.5メートル・幅2メートル・長さ70メートル、経費は300両であった。ムヂナの穴のような洞門であったが、通行人の喜びは無上なものであった。以後、この岩塊を「トンネル岩」と呼ぶようになった。

 

 

大場喜代司
『むらかみ商工会議所ニュース』
(2022
年3月号掲載)村上市史異聞 より

 

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