※場所はおおよその位置で正確なものではありません
東西に走る堀片通りの西方にある門で、この門をくぐれば下渡門に至る道である。稲葉大和*邸と道路を挟んで向かい側に立っていたが、明治初年にこの門が取り壊されるとともに堀脇の道路も廃され、屋敷の一部になってしまった。
*日本の政治家。元衆議院議員
図の右下方、「堀」と書き入れのある場所は、埋め立てられて坂道となり現在に至る。旧藩時代はその坂道はなく、堀片通りやこの堀片門に至るには、庄内町の東裏(通称、広見)からと杉原から入るしかほかなかった。
門の規模は、2間半に4間、窓4カ所、多門2間半、外へ折り廻し8間、窓3カ所、左の方の塀は土居上に7間、右の方の塀は31間、柵は右の方が2間、左の方が2間半であったと『村上御城郭』に記されている。
(絵図の)堀片門の脇に、小さく別に「袋門」と記入されるが、その名称のいわれは不明である。上方には「下渡門有」と記され、土塁の上には、現在法務局が立っている。堀は道路に化し、土塁は坂となり、昔を思うよすがもない。
大場喜代司
『むらかみ商工会議所ニュース』
(2021年6月号掲載)村上市史異聞 より