二層の角櫓(すみやぐら)のところが現在の村上税務署である。絵図の堀の左側が小町の東裏から続く道路に変わり、右手の堀は長井町の東裏で、現在は下水溝に変化し、土塁だけが往昔*(おうせき)の名残りを留めている。本絵図では、土塁の上に石垣が積まれ、その上に多門櫓が乗っている。藤基神社の位置は変わらない。
*過ぎ去った昔。いにしえ。
この地域は、大手門とともに村上城の最重要拠点であったため、家老級の屋敷が占めていた。幕末には家老・鳥居三十郎の屋敷が門内の北側にあった。門の規模は2間半×7間。その右手には2間×11間の多門、奥の右手に2間半×7間半の多門櫓が付く。角櫓は3間四方の二層で、床面積は階上・階下とも同じである。その袖に2間×4間の多門櫓が付き、長さ10間の塀が続く。
壁面は下部が黒く塗られていることから、白壁の下部は鎧下見(よろいしたみ)の板か。屋根材は板であろうか、瓦には見えない。
規模は大手門に次いで大きく、村上城の正面を扼(やく)する*に足る門である。城主が参勤交代で江戸から帰城するときは、瀬波の松原から肴町へ入り、大町を経て大手門をくぐる。村上祭り(村上大祭)には、しゃぎりがこの門をくぐったところに並ぶ。町人が許可なくして入城できる唯一の機会が祭りであった。
*要所を押さえる。
大場喜代司
『むらかみ商工会議所ニュース』(2020年8月号掲載)村上市史異聞 より