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昔のことせ! ~村上むかし語り~ 昔のことせ! ~村上むかし語り~

当コンテンツは村上商工会議所が毎月発行している
むらかみ商工会議所ニュースで連載していた
『村上市史異聞』を転載したものです。
※2024年5月号で連載は終了しました

 

 

著者である大場喜代司さん(故人)
村上の昔のことを、あれやこれやと語ります。

 

 

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2008~2015年に書かれたものはこちら

2020/04/01

135 古写真に見る大正時代の瀬波温泉(5)

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瀬波温泉 五泉屋(長谷川旅館)

 

「長谷川旅館」ともいった五泉屋の正面玄関である。玄関屋根は、わずかに円弧(えんこ)状をなし、繊細で瀟洒(しょうしゃ)な和風である。されど、左下の下見は擬洋風(ぎようふう)で、いかにも大正ロマンの雰囲気を漂わせている。

 

かてて加えて、この自動車の運転手の装いと風采(ふうさい)がいかにもハイカラ気ではないか。鉄道 中条   村上線の開通は大正3(1914)年11月1日のことであるが、村上駅と瀬波温泉間は、脚元に小さなほこりの渦をつくり、頭上にカラスの嘲(あざけ)りを残しながらの力車か、テクテクにまかせるしかなかった。

 

そこで、「瀬波自動車株式会社」の設立となったのが大正3年10月のこと。「乗合」と「ハイヤー」の営業で、資本金2万円であった。大正元(1912)年の自動車フォードは4,200円くらいで、乗車料は1里につき13銭、乗合定員は6名であった。写真の自動車がその乗合自動車か、いずれにしても庶民には、山たかみ くもゐに見ゆる 桜花……であった。

 

ついでに、村上町の電灯は大正2(1913)年4月5日についた。茶の間に一灯のみであった。

 

 

 

大場喜代司
『むらかみ商工会議所ニュース』(2019年4月号掲載)村上市史異聞 より

 

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