当時の瀬波温泉街中央部付近の西側にあった旅館である。写真の上の方が正面で道路に面し、下の方が裏面で池があった。小さな坂の下でその名残りは窪地になっていたが、いま、せいぜい想像する縁(よすが)は、その小さな坂道と付近の小松林くらいなものだろう。
いささか鮮明さを欠く写真で判然としない部分もあるが、左の入母屋の大屋根の建物が本館で、やや低い屋根の建物が正面玄関の付く建物であろうか。背景の山が浦田山(うらたやま)から続く丘陵帯であろう。
島かくれゆく漁船の煙を吸いこんだ汐風が緑の松蕭(しょうしょう)にかわり、池の面を小波(さざなみ)たたせ、紅燈を浮かべて管絃の華やぎを流していく。開け放った二階座敷はふところに清風を入れた客の数人のくつろぐ姿が見える。
開発当初の瀬波温泉の「入浴料は五銭(明治36(1903)年、村上町役場の初任給は1円)で、相撲部屋の桟敷のようであったが、物珍しさに見学かたがた入浴するものはかなり多かった。それが今では堂々たる温泉場になった。」と書いているのは『岩船郡案内』(明治43(1910)年)である。
大場喜代司
『むらかみ商工会議所ニュース』(2019年2月号掲載)村上市史異聞 より