大町の街路が再び、自転車店が三度登場する。また、屋根看板もこれまでの形式と酷似していて、金網の上の据え付け文字で「自轉車【販売修】繕所 扇屋横【澤商】店」とあるようだ。
※【 】の中の文字はのぼり旗で隠れている部分
扇屋の文字は、同店主が元紋書き職であったゆえ、とは『村上市史』の伝えるところである。なにゆえ紋書き職を「扇屋」といったか、それは不明である。
とまれ当自転車店の創業者は、新しい乗り物・自転車に夢中になり、熱中して、研究のあまり転業したという。ところが、部品は輸入品であったゆえ交換品はなく、自ら製作しなければならず、そのためふいごや金床、鎚(つち)などを備えていたという。
日本に初めて自転車が走ったのは明治3(1870)年頃で、空気入りの車輪になったのは同30年頃であった。鉄馬倶楽部の50余の「鉄馬」が新発田(しばた)を出発したけれど、強風のため田圃(たんぼ)に落ちたり、破損したりで、『村上に来たりしは十六、七車』(新潟新聞)であったという。自転車を鉄馬とはよくも例えたものだ。2軒置いて隣りは旅籠屋であろうか。障子のような腰から2人が顔を並べている。
大場喜代司
『むらかみ商工会議所ニュース』(2018年10月号掲載)村上市史異聞 より