耕林寺などという寺があったが、「ついぞ耳にしたことがない。」と言う人がほとんどであるが、実は存在したのである。「昔城山の東に丸山と云所に耕林寺と云禅寺有、故に名付く」という記事が江戸時代の『村上城主歴代譜』という冊子に載っている。
丸山という字名の場所は仲間町地内に残っている。村上藩主の別邸があったところで、松平大和守直矩(なおのり)も日記に「丸山にて小鳥八十一」を網を用いて捕獲したと記している。その地内には、東屋(あずまや)や能楽堂などもあって、しばしば能興行を催していたことが藩主・榊原氏の日記にも見える。
耕林寺門は、村上城の東面を守る外郭(そとくるわ)の一つで、規模は2間半に4間と『村上御城廊』にある。
外桝形の形式を備えているが、若干省略した構造であることは城の東裏の外郭のいち防御の門であったからである。この門に続く土塁(どるい)の一部が国道脇に残っていて、僅(わず)かに往時の面影を偲ばせている。
大場喜代司
『むらかみ商工会議所ニュース』
(2021年1月号掲載)村上市史異聞 より