淺野舘
歌人・与謝野晶子が瀬波松山温泉を訪れ、歌を詠んだのは、昭和12(1938)年2月10日のことであった。その一首に、「松山と 松山の中 雪白く 村上の灯が そのはてに点く」がある。もう一首には、「安らかに 松山ならび 雪光る 越の瀬波に 春雨ぞ降る」。この二首は、歌誌『冬柏』に載る。開湯から34年が経った後のことであった。
いずれも雪解の早春、余寒ようやく収まりつつあり、松の梢も緑が鮮やかになりつつあるころの叙景(じょけい)歌である。写真の浅野屋は今のどこか、そんなことにはこだわらない。この小体(こてい)で情緒感の漂う建物がいいではないか。
小体とは、「つつましやか、こじんまりとしたこと」、「随分小躰(こてい)に万事費(ついえ)をはぶき」、「二棟四軒の小体な家が」などと解説するのは『日本国語大辞典』である。
写真左奥の屋根に上がる看板と、玄関右看板の文字は「淺野舘」と読まれる。
2階の右に写る女性は、白いエプロン(西洋風の前掛け)で、いかにも大正期風であるが、左に写っている女性は完全な和装である。え? 職業は? そこまで穿鑿(せんさく)する必要がある?
大場喜代司
『むらかみ商工会議所ニュース』(2019年3月号掲載)村上市史異聞 より