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昔のことせ! ~村上むかし語り~ 昔のことせ! ~村上むかし語り~

当コンテンツは村上商工会議所が毎月発行する
「むらかみ商工会議所ニュース」で連載中の
『村上市史異聞』を転載したものです。

 

 

著者である大場喜代司さんが
村上の昔のことを、あれやこれやと語ります。

 
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著者の郷土史研究家・大場喜代司さんが
2024年3月27日にご逝去されました。
村上市の郷土史研究に多大な功績を残された
大場先生のご冥福をお祈り申し上げます。
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2008~2015年に書かれたものはこちら。

2020/03/01

134 古写真に見る大正時代の瀬波温泉(4)

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淺野舘

 

歌人・与謝野晶子が瀬波松山温泉を訪れ、歌を詠んだのは、昭和12(1938)年2月10日のことであった。その一首に、「松山と 松山の中 雪白く 村上の灯が そのはてに点く」がある。もう一首には、「安らかに 松山ならび 雪光る 越の瀬波に 春雨ぞ降る」。この二首は、歌誌『冬柏』に載る。開湯から34年が経った後のことであった。

 

いずれも雪解の早春、余寒ようやく収まりつつあり、松の梢も緑が鮮やかになりつつあるころの叙景(じょけい)歌である。写真の浅野屋は今のどこか、そんなことにはこだわらない。この小体(こてい)で情緒感の漂う建物がいいではないか。

 

小体とは、「つつましやか、こじんまりとしたこと」、「随分小躰(こてい)に万事費(ついえ)をはぶき」、「二棟四軒の小体な家が」などと解説するのは『日本国語大辞典』である。

 

写真左奥の屋根に上がる看板と、玄関右看板の文字は「淺野舘」と読まれる。

 

2階の右に写る女性は、白いエプロン(西洋風の前掛け)で、いかにも大正期風であるが、左に写っている女性は完全な和装である。え? 職業は? そこまで穿鑿(せんさく)する必要がある?

 

 

 

大場喜代司
『むらかみ商工会議所ニュース』(2019年3月号掲載)村上市史異聞 より

 

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