久保多町の街路で、2軒分もあるか、広い間口の前に大勢の人々がたたずむ。前庇(まえびさし)はトタンか板葺きか判然としない。屋根看板は横に大きく「倉松自轉車商店」と記されている。軒下の縦看板には、中央に「米富號自轉車代理店」、その右横に「販売元斎藤製作所」、左横には「倉松自轉車商店」と書かれているのが読める。たたずむ人々は商売用か、数台の自転車を前に店主らしい人物とそれに同店の若衆か、数人の子ども。後方にはその関係者か、隣近所の若衆らかが数名写っている。
一体、わが国に自転車が渡来したのはいつの頃か。『武江年表』の明治3(1870)年6月15日の条には「自転車といふは今年秋の本町辺の者より」始められたとある。もちろん、東京でのはなしである。
写真の倉松自轉車商店が開業したのは明治40年頃であった。もとをただせば同店は鍛冶屋であった。金属製の自転車は修理などから鍛冶職人が多く携わったものであったという。大正モダニズムが漣(さざなみ)になって街路を洗っていた様子がそこはかとなく伝わってくる。
大場喜代司
『むらかみ商工会議所ニュース』(2018年4月号掲載)村上市史異聞 より