村上町に常設の芝居小屋ができたのは明治年間で、場所は細工町の地蔵堂の東斜め向かいで「旭座」といった。興行は、演劇・軽業・手品・奇術・義太夫・軍談などで、同30年代には活動写真も映された。「曙座」という座名に変わったのは日露戦争後である。
間もなくその小屋は廃され、大町・十輪寺の隣地に、間口6間・奥行き12間の建物が中条町(現 胎内市)から移築され「巴(ともえ)座」の名称で興行が始まる。
活動写真の以前は、もっぱら幻灯機による映写であった。村上でのその嚆矢(こうし)は明治20(1887)年12月で、銘打って「教育幻灯会」、会場は旭座である。活動写真は、その後同34(1901)年4月、旭座での上映が初めで大盛況であった。
写真の活動館は、大正11(1922)年に塩町の東外れ角に建った「都館」である。蝙蝠(こうもり)の風体に顔と手が異様に白い館主の姿格好である。弁士4人・楽士5~6人(ピアノ・バイオリン・クラリネット・トロンボーン等)などで構成する。映写は毎夜7時から。入場料は10銭、きんつば2個分であった。
人気は『鞍馬天狗』『丹下左膳』『乃木将軍』『日本海海戦』『船頭小唄』『金色夜叉』などであった。
大場喜代司
『むらかみ商工会議所ニュース』(2018年7月号掲載)村上市史異聞 より