尾張屋商店
津島惣三郎君
大正から昭和初期の岩船町の漁業はきわめて活況を呈し、漁業の従事者は9千人、副業者は千2百人に上っていた。産額は約70万円に達し、その4.4割は26隻の北海道方面に出漁する漁船の収益である。
水産加工品の産額は、水揚総額の約1/7の多さに達していた。岩船町の昭和2(1927)年の水産額は7万8千円であったが、同10(1935)年では23万8千円に膨れ上がっていた。驚異的ともいえる膨張である。
加工魚は一般的な魚類であるが、岩船名産と喧伝(けんでん)されていた鯖生利(さばなまり)は、上の写真が示すように、大正12(1923)年頃が最も繁栄していたという。製造方法は、サバの頭・尾・内臓を除去してから、せいろで蒸し、燻製にした。切りそいで、しょうゆをかければ副食物になったことから軍部からの注文もあった。
川崎と尾張の2工場があり、日産2~3千尾を加工し、漁獲最盛期には日産2万尾の加工を目標にしたという。最盛期は昭和4~5(1929~1930)年、縦新町から岸見寺町辺りにその工場は林立したという。
大場喜代司
『むらかみ商工会議所ニュース』(2019年8月号掲載)村上市史異聞 より