※場所はおおよその位置で正確なものではありません
正しくは「煙硝」と書く。火薬のことで、火縄銃に用いる火薬を格納する蔵である。その煙硝蔵が何時の時代に建てられたものか記録がない。正徳元(1711)年に城の規模を調査した『村上御城郭(むらかみごじょうかく)』にも、一言半句*(いちごんはんく)も記していないから、その後に新しく建てられた蔵であろう。
*ほんのわずかの言葉
屋根材は不明であるが、白壁と魚子壁(ななこかべ)の下見は防火を考慮に入れた様式で、周囲には盗難防止の木柵を建て並べる。番役人が居住する番小屋は、少し離れた高台に置かれている。
現在地はどこかと問えば、国道7号のアテーナ村上店の裏手になる。その跡地は小高い台地状に残っているので、訪れる人にも分かりやすい。
稲葉様の古祠(こし)は番小屋の後ろで、径(みち)は八幡山に続いているが、そこに至るには「藪こぎ」を覚悟しなければならない。八幡山の頂を左に見て北側へ下ると光徳寺の西側の田圃径(たんぼみち)に出る。
八幡山の頂には、羽黒神社が祀られていたので元羽黒とも称した。城の天守台直下で陰陽道の方位上では裏鬼門にあたる重要地である。羽黒神社の現在地はその延長線上にある。
大場喜代司
『むらかみ商工会議所ニュース』
(2021年4月号掲載)村上市史異聞 より