瀬波町から岩ヶ崎を経て、勝木(がつぎ)までの道を出羽道と呼んでいるが、その道中間のどこにも出羽道と記された道標はない。この浜通りの道を出羽道と呼ぶのは通称であろう。
間島を出た道は、沿海を北上するとほどなく柏尾浜に至る。小さく半島状に突き出た土地には柏尾の集落が描かれ、柏尾山の麓近くにひと際大きな尾根が描かれる。曹洞宗の柏樹寺(はくじゅじ)であろう。
江戸時代は村上藩領で、年貢の負担は兵役として米と鮭、差網が年貢の対象になっていた。また、小物成(こものなり/雑税)として塩、蒸貝(むしかい)の負担があった。わけて塩の生産は盛んであったから、塩釜神社が陸前(りくぜん)塩釜本社(現仙台市塩釜)から勧請(かんじょう)されていた。
この年貢負担は吉浦とても同じで、また両村とも小さな入江のあることから海運業も盛んで、両村の菩提所の寺院には船絵馬が残されている。図中に見える船は3、4人の人影らしい姿が見えるから小型の商船であろうか。静かで穏やかな小港のたたずまいと田園の端を旅人らしい4つの影が南下する様子が見える。
大場喜代司
『むらかみ商工会議所ニュース』
(2021年11月号掲載)村上市史異聞 より