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昔のことせ! ~村上むかし語り~ 昔のことせ! ~村上むかし語り~

当コンテンツは村上商工会議所が毎月発行する
「むらかみ商工会議所ニュース」で連載中の
『村上市史異聞』を転載したものです。

 

 

著者である大場喜代司さんが
村上の昔のことを、あれやこれやと語ります。

 
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著者の郷土史研究家・大場喜代司さんが
2024年3月27日にご逝去されました。
村上市の郷土史研究に多大な功績を残された
大場先生のご冥福をお祈り申し上げます。
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2008~2015年に書かれたものはこちら。

2023/12/05

179 山通りの出羽道(17)戊辰戦争の道㋥

村上藩三条役人の脱出、会津道

 

8月10日の午後4時頃に村上城下の町人に避難命令が出され、翌朝から城下の大路小路は荷車を引く老幼男女の逃げ迷う姿でごった返していた。

 

三条町も同様、官軍を迎えた新発田[しばた]藩がその先方となって五十嵐川河畔に迫っていた。三条領は村上藩の支配地で、その取り締まりが陣屋役人の33名で、奉行は水谷孫平治といった。

 

とがった波が立ち、煙硝が川面を覆い、銃声が散発し、陣屋の木羽を舞き狂わせる。新発田兵の後ろからは、高田藩はじめ畿内の諸藩が続いている。水谷は一の木戸から脱出すると命を下した。眉が吊り、震えた手で草鞋[わらじ]の緒を結んだ33名の珠算役人は跡も見なかった。村上城下まで行き着くには、夜陰に紛れて走るのが無難である。糧食は最寄りの農家を頼る、と水谷は言う。

 

179-880

 

ところが、そう注文通りにはいかない。ある村では、飯米そのものがないという。やむなくカボチャをもぎ、煮て喰う。銃声に驚き、恐怖した軽卒数名の影が消えた。茅屋の小村をいくつかあとにし、小沢を漕ぎ、小峠を幾カ所も越えた。

 

会津城下には宿泊不能、城下西の小松に赴く。それが12日のことであった。そのとき、村上城下は官軍が侵攻しているという情報が飛び込んでくる。長庚[ゆふづつ]*が消え、声を失った。寂を破って、水谷が「最上川を下って鶴岡城下に出るべし」と言った。
*金星、宵の明星

 

小松を出発したのが13日で、荒砥[あらと]を経て左沢[あてらざわ]から舟で最上川を下り、鶴岡城下に着いたのが19日の夕方であった。

 

銃声におびえ、針の光の星に頼って落ちた三条役人の逃避行は終わった。彼らは以後、羽越国境の関川の山中で、鉄砲を担いで、あてのない彷徨に明け暮れる。
「日誌 沢茂友」

 

 

大場喜代司
『むらかみ商工会議所ニュース』
(2023
年2月号掲載)村上市史異聞 より

 

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