『新潟県肖像録』に掲載されている村上町のまち並みの写真は、残念ながら他はない。
これからは瀬波温泉の佇まいに移る。
そも同温泉が噴湯したのは、明治37(1904)年4月9日のことであった。石油の掘削を目的に掘っていたところが、温泉の湯脈に掘り当たったのである。地盤が硬く、掘削は困難を極めていたところ、地下252メートルのところで、突然地を震わし、天を鳴動させ、霧か逆(さか)しまの雨か、天地の創造神が荒ぶれたかのような激動とともに150℃の熱湯が噴き上げた。その高きこと36メートル。
石油変じて温泉の噴出であったから、人々の驚愕(きょうがく)たるや例えようもなかった。野ギツネの群れがその前夜にしきりに鳴き声をあげていたのは噴湯の前触れであったか、という因縁めいた話もある。噴湯の柱が熱を呼んで雲竜と化して虚空に散じ、松樹は白露を帯びて冬の景色を現出させた。群衆は弁当を持つやら、たらいを持ち出すやらで千人も集まったという。5軒の旅館が建ったのは、同39(1906)年のことであった。
大場喜代司
『むらかみ商工会議所ニュース』(2018年12月号掲載)村上市史異聞 より