(イ)
(ロ)
(ハ)
写真の二葉(イとロ)は三面川の河口近くであろう。一葉(ハ)は瀬波海岸で、対岸は下渡山地が岩ケ崎に至って海に落ち込んでいる景観で、手前では地曳(じび)き網を曳(ひ)いている。漁獲は鮭であることはいうまでもない。
他の二葉(イとロ)は、場所は定かではないが鮭獲りの番小屋や遠景から察するに三面川河口近くの河原であろう。あきれるほどの大量の鮭、その群山の鮭を見るため集まった群衆が木柵に沿って冬雲の重苦しい下にたたずむ。
三面川で鮭の人工増殖法の技術を導入したのは、明治11(1878)年であった。内務省勧農局の技手(ぎて)・金田帰逸(きいつ)という人の指導を受けたのである。その金田技手、三面川を訪れ、河畔に立って瞠目(どうもく)し驚いた。
「こんなさして大きくもない川で、江戸時代から鮭の増殖保護がおこなわれていたとは」
同13(1880)年の漁獲高は14万尾余、17(1884)年では73万尾余を記録した。人工増殖法の結果である。この写真は明治後期(1906~1911)の撮影であろう。
大場喜代司
『むらかみ商工会議所ニュース』(2020年1月号掲載)村上市史異聞 より