村上市内で最も古い時代に架けられた橋は、岩船町の明神橋で、文禄3(1594)年に橋を渡る通行税を廃止している。明神橋の必要性は、交通量にあることはいうまでもない。
その後、江戸時代に入ると城下の守備上から架橋は許されない。ずっと遅れて山辺里橋(さべりばし)が出来たのは、商業が栄える江戸時代の後期である。天保7(1836)年の橋掛諸入用帳(はしかけしょにゅうようちょう)が残る。費用は村上町と新保組と日下組の負担。架橋の監督は、藩の江堰方(えせきかた:河川管理)役人であった。
コンクリート橋に架け替えられたのは昭和4(1929)年のことであった。写真の橋はいまだ木橋で、よく見ると橋上の集団は浴衣がけで、編み笠をかぶり、中央の人物は橋の欄干(らんかん)の上に上がっている。山辺里橋を渡る盆踊りの連中の一人が興にのって意気がった姿か。
里謡にうたう「山辺里の橋 真中から折れた……」の橋はこの橋のことか。位置は現在の橋の約40メートル上流であった。
大場喜代司
『むらかみ商工会議所ニュース』(2020年3月号掲載)村上市史異聞 より