学制が公布され、小学校義務教育が開始されたのは明治5(1872)年8月3日であった。村上での学校の創始は翌6年、旧藩士の士族町本町校である。かたや町人町(ちょうにんまち)の村上町では、入学児童40名を本町校に委託するが、間もなく委託を解消し、寺町・浄念寺と上片町・地蔵庵の二方に開学する。
浄念寺校は貫浹舎(かんしょうしゃ)と称し、のちに大町・十輪寺境内に新築移転する。晩翠堂(ばんすいどう)と称した上片校は、手狭になったため同地内の竜淵寺(りゅうえんじ)に移転する。
この2校が合併して、村上町校(上記写真)となる。新築は明治20(1887)年9月である。同年の入学者は男82名・女62名とある。校舎の位置は現村上商工会議所の東で、入母屋(いりもや)の玄関は西向きであった。入り口の路(みち)が第四銀行 村上支店の脇の路である。
写真は、明治43(1910)年8月に開催された大日本蚕糸(さんし)会新潟支会 第二回品評会の開会のときのものである。
大場喜代司
『むらかみ商工会議所ニュース』(2020年6月号掲載)村上市史異聞 より