濱(浜)新保の北を流れる桑川の源頭*は、海抜852メートルの新保岳の西面の中腹で、海抜約460メートルあたりである。山容は際立って険しくはないが、鬱然(うつぜん)とした樹林に被われている。
*川や泉のみなもと。水源
江戸時代の後期には、漆木の栽培や塩木流し*が盛んであったが、明治期になると杉木の植栽が進められ、新潟方面への搬出で栄えた。山北町に材木商が多かったわけである。
*製塩用の薪の搬出
絵図の川は、桑川の河口付近である。川岸は整然とした石積みが続き、陸地には川下げの伐木(ばつぼく)を製材する製材所が建ち、数人の木挽作業人の姿が描かれている。
桑川の上流の山から伐採した材木を河口で陸揚げして製材し、船に積み込み、新潟港まで輸送していた。小間物屋 長兵衛は旅のつれづれに、そのいち情景の部分に目をとめて筆を染めたものであろう。新潟港へ向かった鵜泊(うどまり)の材木船が荒天のため難破して、岩船浜にうち揚がり、辛くも助かった例もある。
そのとき積載してた材木は、杉角材210本と杉板61枚とある。その船は、鵜泊村久兵衛の所有であったとは岩船の伴田家文書が明らかにしている。
大場喜代司
『むらかみ商工会議所ニュース』
(2022年5月号掲載)村上市史異聞 より