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昔のことせ! ~村上むかし語り~ 昔のことせ! ~村上むかし語り~

当コンテンツは村上商工会議所が毎月発行する
「むらかみ商工会議所ニュース」で連載中の
『村上市史異聞』を転載したものです。

 

 

著者である大場喜代司先生が
村上の昔のことを、あれやこれやと語ります。

 

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2008~2015年に書かれたものはこちら。

2022/04/01

159 村上城 山辺里門

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※場所はおおよその位置で正確なものではありません

 

村上城 山辺里(さべり)門、4間半に2間2尺、窓3カ所という記録が残る。絵図を見ると、門の上部に開けられた窓は4カ所であるから、数の上からすると合致しない。筆のすべりすぎか。

 

また、右手の塀は石垣の上に34間2尺であったという記録である。その塀は腰が黒く塗られていることからして鎧下見か。

 

門に付随して二重櫓が立つが、その規模は2間半に6間と記されている。2階も同じ大きさであろうことは窓の数が示している。しかし、『村上御城郭』には二重櫓とは明記せず、北の方の多門2間半に6間、窓6カ所。西の方の多門2間に12間、窓3カ所とある。

 

北の方の多門とあるのは二重櫓の多門であろう。北方から斜に見て描いた図であるから、南北が縮まって見えるのでこのような絵になったものと思われる。窓も実写では重なり合って見えるはずである。

 

門の位置は、三之町・奥村酒店脇の小路である。門の規模からすると飯野門と同程度の大きさであるが、そのゆえんは城の東北方の山辺里口を守る重要地であったからである。創建時の村上城下の東口は庄内町であった。人口の急増により、片町・庚申堂から上片町の地蔵堂へと延びる。

 

 

大場喜代司
『むらかみ商工会議所ニュース』
(2021年5月号掲載)村上市史異聞 より

 

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