城門絵図から一転、道の絵図を紹介しよう。
出羽道と呼ばれた道路が村上城下から山通りの道(現在の国道7号)と浜通りの道(現在の国道345号)が通じていた。浜通りの道は三面川河口を渡って野潟から吉浦を経由して勝木(がつぎ)に至り、山通りの出羽道に結ぶ。
その浜通りの道の要所々々をスケッチした人が長門屋長兵衛であった。かの村上城の城門絵図を描いた人である。現在は国道に昇格して、きわめて平坦な道路に変わっているが、かつては歩行に困難な道であった。
しかし、風光はいたって明美(媚)、歩く人の眼を奪う。今回から、そのスケッチを瀬波河口から山形県の鼠ヶ関(ねずがせき)まで道順にたどる。
まずは瀬波港の風景から。滝の前の人家が軒を並べ、西端に2軒の茶屋が立つ。図の左には「不動滝」と書かれ、御堂らしい屋根が描かれている。川岸に繋留(けいりゅう)する船は、柱が立つことから帆走する2・3人乗りの天渡船(てんとせん)と呼ぶ小型な船であろう。明治34(1901)年の瀬波港の入船数は278艘(そう)であった。明治初(1868)年からこうした船の入港でにぎわった瀬波港も、鉄道開通とともに急速に衰退した。
大場喜代司
『むらかみ商工会議所ニュース』
(2021年9月号掲載)村上市史異聞 より