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昔のことせ! ~村上むかし語り~ 昔のことせ! ~村上むかし語り~

当コンテンツは村上商工会議所が毎月発行している
むらかみ商工会議所ニュースで連載していた
『村上市史異聞』を転載したものです。
※2024年5月号で連載は終了しました

 

 

著者である大場喜代司さん(故人)
村上の昔のことを、あれやこれやと語ります。

 

 

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2008~2015年に書かれたものはこちら

2021/09/01

152 村上城 中ノ門

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飯野門羽黒門の中間に位置し、二の丸(二之町)の南口を守る門である。ゆえに「中ノ門」という名称がつく。北口は下渡門で、その中ほどに小石垣門がある。左手の土塁の外に見える人家の屋根は、三ノ丸(現三之町)の堀の内に立ち並ぶ武家屋敷であろう。

 

正徳元(1711)年の記録『村上御城廊』には、門の仕様が記されていない。その後の記録、宝暦2(1752)年には、中間(ちゅうげん)長屋からの出火に中の門が類焼した記録がある。その後は再建されずに明治を迎えたものだろうか、あるいは正徳元年以前には不用の門になっていたのだろうか。

 

右手の堀は羽黒門から続き、左手の土塁に添って北へと続いている。その形跡が現二之町の西側の家並に一部窪地になって残る。

 

飯野門からの内部は厳重さをきわめて、内部の南を守備する役目を帯びた空間であったことが理解される。火災に遭った中間長屋は、中の門と道路を挟んだ東側にあり、有事の際には将兵の詰め所の役を担っていた。

 

 

大場喜代司
『むらかみ商工会議所ニュース』
(2020年10月号掲載)村上市史異聞 より

 

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