飯野門と羽黒門の中間に位置し、二の丸(二之町)の南口を守る門である。ゆえに「中ノ門」という名称がつく。北口は下渡門で、その中ほどに小石垣門がある。左手の土塁の外に見える人家の屋根は、三ノ丸(現三之町)の堀の内に立ち並ぶ武家屋敷であろう。
正徳元(1711)年の記録『村上御城廊』には、門の仕様が記されていない。その後の記録、宝暦2(1752)年には、中間(ちゅうげん)長屋からの出火に中の門が類焼した記録がある。その後は再建されずに明治を迎えたものだろうか、あるいは正徳元年以前には不用の門になっていたのだろうか。
右手の堀は羽黒門から続き、左手の土塁に添って北へと続いている。その形跡が現二之町の西側の家並に一部窪地になって残る。
飯野門からの内部は厳重さをきわめて、内部の南を守備する役目を帯びた空間であったことが理解される。火災に遭った中間長屋は、中の門と道路を挟んだ東側にあり、有事の際には将兵の詰め所の役を担っていた。
大場喜代司
『むらかみ商工会議所ニュース』
(2020年10月号掲載)村上市史異聞 より