馬下(まおろし)の人家をあとにすると、すぐ馬下トンネルにさしかかる。現在は国道345号のきわめて整然とした道路に変貌しているが、上図の当時は、波涛(はとう)に足元を洗われ、巌(いわお)に波の音がう轟(とどろ)き、鴎(かもめ)も戦慄(せんりつ)しながら狂い飛び迷う径であった。
昭和6(1931)年に発行の地図では、鳥越山は日本海に突き出で、波際には岩礁が点々と描かれている。そして、鳥越山の南の下には「蝙蝠穴」(こうもりあな)と記入してある。この絵図の中央付近に、その穴らしいものが描かれている*。径は鳥越山を切り通してつけられていて、その最高所に旅人らしい二人がたたずむ。この大巌塊を鳥越山と名付けるゆえんは、鳥も飛び越えかねるような難所の地形であったからであろう。
*編集者注:掲載している絵図では判別できません
鳥越山の南は馬下、北へ降りると浜新保へ至る。その中間点よりやや北寄りのところが、上海府(かみかいふ)と下海府(しもかいふ)の境界で、笹川流れの南端でもあった。
新保村は、明治初(1868)年に浜新保村と改称している。沖を航行する蒸気船は漁船であろうか、ひと筋の煙をなびかせて南に向かっている。
大場喜代司
『むらかみ商工会議所ニュース』
(2022年4月号掲載)村上市史異聞 より