板貝峠(笹川峠)を下るとすぐに板貝川である。現在、その河口の南の至近には神宮沢第一隧道が、その南には同第二隧道、同第三隧道が断続する。図に見るように、巨大な岩塊が海浜を犯し、旅行者や村人の難渋は思い知ることができる。
高所に鎮座するのは、人々の安泰を願って祀られた石の地蔵であろうか。
潮風に樹の肌をさらし、僅かな痩土にへばりつく松木の根を踏みながら下りきると今川である。家並みの南端の林に囲まれた建物は曹洞宗大雲寺か。その北はまたもや岩山となり、通称「アジアキ崎」と土地の人は呼んでいる。
アジアキの語源は地形に関係するか、突き出た厳岬の脚下を波涛が洗い狂うさまを画人は描く。やがて科学力は荒神の内臓をぶち抜くべくトンネルを掘削して、旅人の難渋を救う。
大正13(1924)年、羽越線開通と今川駅の開設で交通の便は長足の進歩*を遂げた。その一方では、煤煙(ばいえん)による火災が起きた。そこで、男の船稼から女子消防団の発足となったが、これもまた歴史の消長**の一つであった。
*短期間で大幅に進歩すること
**物事が衰えて消えるか、伸びて盛んになるか、というなりゆき
大場喜代司
『むらかみ商工会議所ニュース』
(2022年7月号掲載)村上市史異聞 より