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昔のことせ! ~村上むかし語り~ 昔のことせ! ~村上むかし語り~

当コンテンツは村上商工会議所が毎月発行している
むらかみ商工会議所ニュースで連載していた
『村上市史異聞』を転載したものです。
※2024年5月号で連載は終了しました

 

 

著者である大場喜代司さん(故人)
村上の昔のことを、あれやこれやと語ります。

 

 

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2008~2015年に書かれたものはこちら

2018/11/01

118 急激に変わる村上城下

(絵図1)

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(絵図2)

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「初期の村上城下」を本紙(『むらかみ商工会議所ニュース』のこと)に掲載したはじめは2009年。絵図1は、慶長2(1597)年の村上城と城下町の姿を描いたもので、絵図2はその約21年後に描かれたものである。その間、いかに大変貌を遂げたか、この図によっても明らかである。

 

山上の城には石垣が築かれ、城下には二の丸や三の丸の堀、各要衝には桝形(ますがた)を備えた門が建つ。城下の表玄関口を南西として北国道につなげ、裏玄関口の桝形を東北に設けて出羽道につなげている。いまだ久保多町は名のみである。片町は堀片(ほりかた)のところである。

 

村上城下町の寛永12(1635)年である。

 

 

 

大場喜代司
『むらかみ商工会議所ニュース』(2017年11月号掲載)村上市史異聞 より

 

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